100年の航跡

100年の航跡の写真

2024年、宮崎産業海運は創業100周年を迎えました。

創業してから現在に至るまで、
決して平坦な道のりではありませんでしたが、
100年という節目を迎えることができました。

みなさまと共に進んだ100年の航跡。
動画や写真と共に歴史を振り返ってみましょう。

In 2024, Miyazaki Sangyo Kaiun celebrates its 100th anniversary.

The journey since our founding has not always been a smooth one, yet we have reached this significant milestone of a century.

One hundred years of progress alongside all of you. Let us look back on our history through video and photographs.

写真でみる100年の航跡

The 100th Anniversary

創成期[ 1924 - 1951 ]

鉱山業から海運業へ 機帆船の時代

1924年2月
1934年7月
1940年2月
1951年10月
1951年12月

1924年2月

創業者・宮﨑昇が下関から津久見に移住し、個人企業「松江商会」を設立

石灰石やドロマイト・珪石などの採掘事業を始め傭船した船舶で貨物の輸送販売事業を手掛けていった

1934年7月

初の自社船である「第一宮島丸」・「第二宮島丸」を建造

民営化された日本製鉄株式会社、八幡製鉄所との取引を契機に初の自社船として機帆船「第一宮島丸」・「第二宮島丸」を建造。
自社船での輸送体制を整え、津久見から八幡、その後、関西地区の製鉄所へも積極的に販売網を広げた。

1940年2月

宮崎産業株式会社を設立

採掘・加工部門は1944年に設立された宮崎礦業株式会社へ分離し、以降宮崎産業株式会社は海運業専門の企業となる。

1951年10月

若松船舶部および八幡出張所を開設

事業規模の拡大とともに、若松船舶部および八幡出張所を開設し、北九州の地での礎を築くことになった。

1951年12月

宮崎産業初の小型鋼船「宮鐵丸」の運航開始

第五博鐵丸を買船し、「宮鐵丸」として運行を開始。

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成長期[ 1956 - 1975 ]

鉱山業から海運業へ 機帆船の時代

1957年
1964年
1965年2月
1967年3月
1969年6月
1970年5月

1957年

小型鋼船を相次いで建造

「宮照丸」建造を皮切りに小型鋼船を相次いで建造。戦後景気と復興の追い風に乗り、小型鋼船への切り替えが大きく進むことになる。

1964年

内外航併用船を建造し外航に進出

内外航併用船として「宮竜丸」を建造し、1966年に建造された宮産丸は中国航路などに配船。

1965年2月

創業25周年を記念し、会社名を現在の宮崎産業海運株式会社に変更

事業の主体が海運業となり、創業25周年を記念して会社名を現在の宮崎産業海運株式会社に変更
以後、内外航併用船建造と共に内航輸送の基盤を築いていく

1967年3月

外航近海船「宮豊丸」を建造

主に東南アジアの南陽ラワン材を輸送する外航近海船として活躍。

1969年6月

津久見市に現社屋竣工

現社屋が竣工し、内航船事業の充実をはかりつつ、外航分野へ本格的に舵を向けることになる。

1970年5月

当社初の遠洋外航船「宮鶴丸」を建造

インドおよびパキスタン航路の定期航路に配船。

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変革期[ 1976 - 1994 ]

内航船の近代化と外航遠洋航路への本格的進出

1976年3月
1978年12月
1980年7月
1983年6月
1991年12月
1993年12月
1994年4月

1976年3月

初代「宮幡丸」を建造

内航船は近代化が進み、一般貨物船から専用船化が進んだ。
本船は貨物を自ら陸揚げ可能なセルフアンローダー設備を所持した石灰石専用船であり、小型鋼船5〜6隻分の積載量を有し、経済性も充実させた船であった。

1978年12月

宮﨑昭三が二代目社長に就任

「宮幡丸」「ほくと」と革新的な大型船を相次いで建造し、内航輸送の合理化・近代化を進め、経営基盤を築くのと並行して、近海船の船腹増強にも力を入れた。

1980年7月

「ほくと」を建造

車両積み込み可能なRORO(ローリングオン・ローリングオフ)船「ほくと」を建造し、顧客に傭船を開始。時代のニーズに応えた最新鋭船を導入。

1983年6月

パナマに子会社「GREAT HOMES MARITIME,S.A.」を設立

初の外国籍船を所有するためにパナマに子会社を設立。翌84年には「LAKE SHIDAKA」・「ASTRAL OCEAN」を建造し、北米への鋼材および穀物輸送に従事。

1991年12月

自動車輸送船「豊昇丸」を建造

「豊昇丸」建造に伴い、高い品質が求められる自動車船の保有を開始。当社歴史の礎であった小型鋼船を大型船に集約し、原料輸送から完成車の輸送まで、多角化戦略を推し進めることになった。

1993年12月

豊国マリン株式会社を設立

外航船の自社管理化を進めるため、豊国マリン株式会社を設立

1994年4月

「ASIAN PROSPERITY」を建造

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発展期[ 1995 - 2010 ]

グローバル化の潮流に乗り世界7つの海へ

1995年6月
1996年1月
2001年7月
2004-2007年
2006年9月
2007年7月
2008年
2010年3月

1995年6月

当社グループ初のコンテナ船「IWATO」を建造

「IWATO」を皮切りに「SUMIDA」・「ACX DAHLIA」を建造
外航貸渡業を本格化させた

1996年1月

二代目「宮幡丸」進水式

二代目となる「宮幡丸」を建造、翌97年には二代目「ほくと」が建造し、内航船のリプレースが進んだ

2001年7月

当社グループ初の海外傭船者向け外航船「FURNESS TIMIKA」を建造

中国のWTO加盟に伴う輸送ニーズの増加を取り込むため、以降、海外傭船者との契約を加速させることになる

2004-2007年

当社グループ初のケープサイズバルカーが4隻竣工

世界経済の高まりを受けて大型船所有を加速することになった

2006年9月

二代目「豊昇丸」建造

トヨフジ海運株式会社との共有船「豊昇丸」(二代目)を建造

2007年7月

世界7つの海でも大きな存在感を放つ

「OCEAN COMMANDER」竣工をもって、総載貨重量トン数100万トン超を達成し、外航船主としても存在感を示すことになった

2008年

2008〜2010年、当社グループ初の木材チップ船が3隻竣工

2008年9月に「GENCIANA」、12月に「CATTLEYA」が竣工、2010年には 「UNIVERSAL PIONEER」が竣工

2010年3月

創業70周年を迎える

津久見市民会館において創業70周年式典を執り行った

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成熟期[ 2011 - ]

これからも必要とされる企業であるために

2011年12月
2012年以降
2015年以降
2016年以降
2024年2月

2011年12月

宮﨑昇一郎が三代目社長に就任

船舶貸渡事業と内航輸送事業の事業基盤を確立・体制強化に尽力する

2012年以降

外航貸渡事業

基幹船隊を中型ばら積み船・ケープサイズバルカーとし、海外傭船者との契約が一般化した中、外部機関の安全環境評価制度も取り入れながら船隊の統一化を図ることで、安全運航及び事業体制の強化に努めている

2015年以降

内航貸渡事業

2015年に三代目「ほくと」を建造し、二代目「豊昇丸」とともに長年にわたる運航会社との関係を強化する

2016年以降

内航輸送事業

日本製鉄株式会社向け「宮幡丸」の安全運航に努めながら、定期的な新造船の発注を船主と連携して行い、お客様の貨物を安全・安定輸送する

2024年2月

創業100周年を迎える

”山から海へ、津久見から世界へ”
鉱山業からスタートして創業100周年を迎える。
輸送を通して社会の発展に価値を提供し続けるをモットーに、今後もステークホルダーの皆様の価値向上に努めていく。

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