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概要

70年の航跡

戦後景気と復興の追い風に乗って小型鋼船の時代へ昭和32年3月3日、「宮照丸」竣工。昭和32年1月、「宮照丸」進水式。昭和34年12月、鋼材専用船「宮桐丸」竣工。昭和37年6月、「宮清丸」竣工。昭和38年5月、「宮浩丸」竣工。機帆船から小型鋼船へ順次切り替えが進む戦後、昭和20年代から30年代の内航海運業界には、依然として小型老朽船が数多く存在し、当社も戦時中は機帆船を20隻前後も保有していた。これらの船舶を小型鋼船化するには多大な資金を要するため、なかなか思うように進まなかったが、昭和32年(1957)に、鋼船「宮照丸」(D/W850トン)を建造。これが小型鋼船の新造船第1号であった。以後も引き続き、船腹の増強を図るため、昭和34年(1959)に鋼材専用船「宮桐丸」(D/W2,850トン)、36年「宮国丸」(D/W840トン)、37年「宮清丸」(D/W870トン)、38年「宮浩丸」(D/W867トン)、「宮梅丸」(D/W870トン)と、小型鋼船を新造していった。このように昭和30年代半ばは、戦後景気と復興の追い風とが相まって、小型鋼船ブームが続く中、老朽化した機帆船を売船、あるいはスクラップ処分して、小型鋼船へと順次切り替えを進めていったのであった。このころ、G/T499トン、D/W870トン型船1隻の建造にかかる費用は、約5千万円であった。14