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概要

70年の航跡

昭和55年9月、RORO船「ほくと」竣工。大阪~苫小牧の定期航路に就航。昭和54年9月、「同栄丸」をセルフアンローダー船へ改造。「宮桐丸」と改名後、旭硝子(北九州市牧山)向け石灰石専用船として就航した。昭和56年11月、「宮幸丸」建造、石灰石、石炭等の輸送に就航した。昭和57年1月、「宮幡丸」竣工から6年で1000航海無事故達成。北九州市戸畑一枝クラブにて祝賀会が開催され、新日本製鐵株式会社八幡製鉄所より感謝状を受ける。昭和56年12月、近海船「みやとよ」竣工。昭和55年(1980)7月、近海郵船株式会社の要請により建造したロールオン・ロールオフ船「ほくと」(D/W4,636トン)も、全国に先駆けた近代化船であった。貨物を載せたトラックやトレーラーが船の前後のランプウェイを自走して船内に乗り込み、積み卸しができるロールオン・ロールオフ船(Roll On/Roll Off Ship略号RORO船)は、積み卸しにクレーンを使用せずに済むため、荷役作業の効率化が図れる。主に北海道から大阪の新聞社へ新聞の巻き取り紙を輸送、近海郵船株式会社に貸渡し、大阪~苫小牧の定期航路に就航した。内航の定期用船第1号であった。この間、昭和53年(1978)に宮﨑昇の長男で副社長を務めていた宮﨑昭三が、二代目社長に就任する。近海船の船腹増強も推進「宮幡丸」「ほくと」と革新的な大型船を相次いで建造して内航輸送の合理化、近代化を進め、経営基盤を築くのと並行して、近海船の船腹増強にも力を入れた。昭和54年(1979)2月には、「ぱんじゃん丸」(D/W9,368トン)を東京船舶株式会社より買船し、同社へ定期用船、インドネシア航路へ就航させる。昭和56年(1981)12月には、「みやとよ」(D/W6,487トン)を建造、東京船舶株式会社へ定期用船し、インドネシア航路に就航。昭和57年(1982)1月、東京船舶株式会社より「ブルーマース」(D/W10,230トン)を裸用船し、同社へ定期用船、東南アジア、豪州航路へ就航させた。23